March 20, 2011

地震のあとで

 昨日19日にやっとやっと、10日ぶりに仙台に戻りました。
 わたくしは、たまたま9日水曜日に仙台空港から札幌へ向けて飛び立ちました。もちろん出発直前に今回の地震の前兆となる大きな地震があり、JR空港線もダイヤが乱れ、タクシーで空港入り。10,11日と札幌の仕事をして、11日は午後4時終了予定で、3時前そろそろ締めくくりの作業に入ったときあの物凄い揺れが…そのときはまさか、仙台が三陸があんなことになっているとは知らず。ちょっと中断してそのあとは、無事4時に仕事を終えたのですが…そのときになってはじめて、仙台や三陸、茨城までとんでもなく大変なことになっている、とのニュースを知らされました。
 新千歳空港へ駆けつけたけれど、もちろん仙台便など飛ぶはずも無く…家族をはじめ、知り合いの大勢の沿岸部の方々の安否がわからず、ほんとうに不安でした。
 しかし、幸い私の家族はなんとか無事でした。しばらくは何の移動手段も無く、結局、苫小牧からでているフェリーで秋田港へ。15日の秋田での仕事を無事終えて、さらに秋田空港から羽田へ。ボスとも再会し、さらに羽田から山形空港を経てやっと昨夜仙台に戻りました。長女夫婦と次男が夜のバス停まで迎えに来てくれました。もつべきは家族…とあらためてかみ締めました。
 なんて、なんて多くの尊い命が失われたことでしょう、お家も職場も家族も、あまりにも大きい災害に言葉もありません。
 今はただ、ご冥福をお祈りするしかないのでしょうか。
 さらに原発の恐怖が追い討ちを掛けています。
 だけれども私たち、東北人は、なんとか、立ち上がりましょうね。すこしづつでも、一歩ずつでも。

Posted by sandm at 00:56:29 | from category: Main | DISALLOWED (TrackBack) TrackBacks
Comments

kazuya@tome:

私は東京にいました。なんとか手段を講じて高速道路を通って帰ってきました。

コンサルの仲間の多くは連絡がついていますが、南三陸の匡彦君が行方不明になっています。

これからの復旧にみんな忙しくなりそうです。
(March 21, 2011 07:45:35)

sandm:

村上です。南三陸、ときいてわたくしもとっても心配でした…昨日奇跡的に助かった石巻のおばあちゃんとお孫さんのようにどこかでがれきの下でも生きていてほしい…
(March 21, 2011 10:33:43)
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